1989年5月27日(土)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《8》
一大事業  今、思春期の子育ては

 埼玉県三郷市にある事件の被害者となった女子高生Eさん(一七)宅はいまもひっ
そりと静まり、悲しみと苦痛の深さを物語っています。事件発覚から二ヶ月。
Eさんの母は、いまも病床に伏せ、家の外に出ることもないといいます。

    なぜ救えなかった
    の思い胸に追跡

 一人の少女の命が残虐の限りをつくした暴力によって奪われた今回の事件は、
社会に大きな衝撃を与えました。それは事件の比類ない残虐性とあわせ、事件が
二人のおとなが寝起きし暮らしていた同じ家屋の中で起きたということの衝撃で
した。なぜ少女を救えなかったか=Bその思いは多くの人の胸をえぐりまし
た。
 それゆえに本紙では、事件現場となった少年C(一六)宅の魔の四十日間≠フ両親
の対応と子育てから追いました。
 連載中、読者のみなさんから寄せられた声には「(Cの両親へ)やや身びい
きなのを感じます。眠れぬ夜をすごしているのは少年たちの親だけではありませ
んでしょう」(四十七歳、女性)というご指摘の一方、「弁明の余地のない両
親をさらに追いつめるものではないか」(女性)、「『あのときああしていれ
ば事件は防げたかも』と、結果論をいうのはたやすいことだ」(三十一歳、男
性)というご意見もありました。
 私たち取材班は、今回のあまりに重大な結果を前にして、なぜこんな事件が起
きてしまったのかということ、同時に二度とこのような事件を生まないための手
掛かりを一端であってもつかみたいと思いました。そして事件の経過のなかに
は、たとえ結果論≠ナあってもなお、その対応が適切であったかどうかを問わ
れねばならない局面もあると感じました。
 取材を通じ、Cが幼いころの両親の子育てには、多忙な共働きのなかでの努力
があったことを知りました。同時に、Cが思春期を迎え、荒れていったとき
の対応がか弱いものであったことも感じさせられました。そこに暴力団の手が伸
びました。教育評論家の小島昌夫さんの「いま、思春期の子どもたちを健やかに
育てていくことは一大事業です。それをおとなたちが共通の認識にし、力をあわ
せなくてはいけないのではないでしょうか」という指摘が思い起こされました。
 またCの両親は共産党員でした。職場や地域での共産党員、党支部のあり方に
ついて、さらに取材し考えていきたいと思います。

      寄せられた声を
      正面から受けとめ

 「二年前、離婚した」という東京・世田谷区の女性は、電話で涙ながらにみず
からの苦しかった子育てを語ってくれました。「私の子も、家のお金を持ち出し
たり万引きをしたり、登校拒否もあった。私自身必死だったし、恥も外聞もな
く日本新婦人の会の仲間に駆け込んだ。子どもたちが元気で大きくなった
ら、みんなのところを回ってお礼をいいたい」と。また、大阪市の父親(四十六)から
は「私の周囲にも、思春期の子どもの非行にとことん悩みながら、それを乗り越
え、親子ともども立ち直っていった人もいる。民主的な活動、共産党の活動にと
りくみ、子育てとも格闘している人の姿も紹介してほしい」という声も寄せられ
ました。ご意見を正面から受けとめ、「追跡」を続けようと思います。
                                (おわり)
(女子高生監禁殺害事件取材班)