1989年5月22日(月)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《3》
ためらっている内に 急転落の3ヵ月

 自宅を監禁場所にした少年C(一六)は、スポーツ好きでした。中学校に入ると運
動クラブに熱中します。一年の終わりごろでした。この運動部を他の部員ととも
に集団で退部します。指導の教師がことあるごとに体罰をふるうことに嫌気がさ
してのことでした。Cらは他の運動部を希望しましたが、学校からは拒否されま
した。「一つの部がつとまらないで他の部でやれるはずがない」というのが理由
でした。母親らのあいだで学校への抗議が持ち上がりましたが、子どもたちがと
めたといいます。Cの両親も学校と話すことはしませんでした。

  放課後の時間を持
  て余すようになる

 その後、Cらは、放課後の時間を持て余すようになります。ゲームセンターに
出入りしたり、部屋で漫画本をくったり…。
 受験指導に重点が置かれる三年になると成績はぐんと下がり、卒業を控えたこ
ろからCの家庭内暴力が始まったようです。自分の気にいらないことがあると母
親を殴る。当時「体罰はやってはならない」と思い直していた父親は、「話せば
わかる」と話し合おうとしますが、Cは「昔のことを忘れたのか」とかつての父
親の体罰を指摘し、反発したといいます。
 Cは、都立の職業高校へ進学。その高校を怠学し始めたのは六月ころでした。
夏休みには、今回の事件のグループとのつき合いが加わり、つながりを深めてい
きました。髪を赤茶色に染めたのもこのころです。
 この夏、両親は、それぞれの休暇をずらせてとりました。親が息子といっし
ょにいる時間を少しでも長くと考えてのことでした。
 この休みに父は、息子を連れ、東北の実家に旅行しています。母親は「旅行中
に学校のことをどうするのか、よく話してほしい」と頼んでいましたが、旅行中
父子のあいだで、その話は交わされなかったといいます。Cは夏休み後、高校を
退学しています。
 元高校教師で教育評論家の小島昌夫さんは次のように指摘します。
 「両親はいろいろと考え、苦しみ、やってきたのではないでしょうか。しか
し、その認識と行動は、子どもが置かれた危機の深さに見合うものになってい
なかったのだと思います」

  親の背中を
  見る@ヘを育て

 たとえば、Cが退学を考え始めた高一の夏。父子が旅行したことは、Cが立ち
直る転機にしえなかったでしょうか。
 小島さんはいいます。
 「父親は恐らく、旅の間はお説教はしないで息子との時間を大切にすることを
優先させたかったのでしょう。それが間違いだとはいいきれない。けれども、旅
の一日、じっくりと息子の生活を振り返り、自分の生きてきた道を語るというこ
とがあったら、とも思います。親は、どんなに忙しくても、子どもの成長の転
機、あるいは進学や誕生日など意識的につくる節目に、子どもと向き合い、正
面から親の生き方を語らなければならない。そういう積み重ねが、子どもに
親の背中を見る@ヘを育て、きずなを強めることにもつながるのだと思いま
す」                               (つづく)